Vol.5 行かないで 夕日

家の前の道路で、毎日のようにバドミントンをしていた小学生の頃。

   

その頃の我が家の夕食は、決まって18時頃だった。

   

階段をのぼって玄関がある家の庭先から、母が手招きをする。

   

オレンジ色に染まる夕日と母の手招きは、私と妹にとって夕食の合図。

   

バドミントンと夕日と、 一緒に思い出すのは、

   

大好きだった鮭のフライとキャベツの千切り。

   

   

今でも、あたたかく、せつないオレンジ色の夕日をみると、

   

手招きする母の面影が、うかんでは消える。

   

   

行かないで 夕日 と、少女だった頃を思い出す。

   

行かないで 夕日 と、

   

なぜだか 少しだけ、

   

   

心の中で

   

   

泣きたくなる。

   

   

    

VOL.4 マジック鱗のへび女

「うぎゃー!」

   

走って逃げようとする細い手首を、握りしめて離さない。

  

思う存分泣かせてから、やっと手首を開放すると、一目散に家に走る幼い妹。

  

追いかけてたどり着くと、決まって父から大叱責をうける。

  

実家のすぐ横には、小さい山といってもよいほどの大きな公園があり、

毎日のように遊びに出かけた。

  

ブランコやすべり台だけでは物足りず、新しい遊びを発掘せねばと、

少し薄暗い道の脇で、低い声でこう脅かす。

  

「おねえちゃんは、ホンマはへび女やねんでぇ~。」

  

袖をまくり、

  

腕にはあらかじめ仕込んでおいた鱗の落書き。

  

なんともしょうもない遊びであったが、小さい妹には、効果てきめん。

  

いつもの大叱責をうけながらも、何回かは、しつこく繰り返した覚えがある。

  

あれから数十年、

  

今、妹は弊社の経理すべてを担い、なくてはならない存在である。

  

私が独立してからずっと、縁の下の力持ちとして、

  

最大に尽力してくれている。

  

もしも今、妹のサポートがなくなれば、

  

今度はマジック鱗のへび女が、途方に暮れて撃沈し、

   

「うぎゃー!」と叫ぶ番である。

   

   

   

VOL.3 お厳しいのがお好き

キャンプでは、川魚をついて、枯れ木を拾い、火を焚き、食す。

海では素潜りで貝を採り、やすで突き刺し、タコを獲る。

滑り落ちそうな急な斜面でも、うまくバランスをとり、山菜を採ってくる。

しとめた鹿を持ち帰り(注釈:もちろん資格免許保持者です)

たたきから、ステーキ、赤ワイン煮込みと、
我が家では、一年中鹿肉ばかりを食したときもあった。


還暦となる今も、1000ccのバイクにまたがり、

野性的なことが大好きな夫は、

サバイバーである。


無人島でも生き残れるタイプである。


厳しい環境でこそ、力が発揮できるタイプである。


だから、

   

ぬくぬくとした環境をあたえてはいけない。

   

絶対に、甘やかしてはい~け~な~い~。

   


「厳しい環境こそがあんたの個性を光らせるんやで~~、へへへ~っ」と、

   

悪態づく私と出会って、30年。

   

そう、

   

夫が選んだパートナーも、

   

やはりお厳しいタイプの女であった。笑

    

   

VOL.2 愛の拷問マッサージ

とにかく肩が凝っている。いつも、肩が凝っている。
マッサージに行くと、ベテランらしき中国人の男性が片言で、
「おぉ、お客さんの背中、コンクリートは・い・て・ま・す・ね。」と言われて、なぜだか、
「すみません…。」と謝った記憶がある。近頃は、夕食の片付けが終わると、
決まってリビングのソファで始まる、半分恐怖のマッサージタイム。
昔ヨガを習っていた時に、一生懸命脳に指令を送っても、絶対に横に開かない足の指と指の間に
容赦なく入ってくる力強い手指。
第二の心臓やでぇ~といいながら、しごきあげるふくらはぎ。
肩甲骨の内側のツボをおさえながら、むりやり腕をまわされるというワケのわからん運動。
思うよりも力が強い一人娘が施してくれる、拷問に近いマッサージ。
「いたい~」「やめてぇ~」「きつくしないでぇ~~」と叫べば叫ぶほど、ニヤリとしながら続く拷問マッサージ。
しかしながら、マッサージを受けた後は、ずいぶん身体が軽くなる。 
なので、
やはり今夜も、マッサージして~と愛の拷問マッサージをリクエストする私であった…。

   

    

VOL.1 二人のオードリー

 

メイクアップ&ヘアスタイリング部門で

2度のアカデミー賞を獲得したカズ・ヒロが

映画の世界にとどまらず

現代美術家として活動しているドキュメント番組が放映された。

世界に大きな影響を与えた人物をモチーフに

立体的でリアルな顔のアート作品を制作しているのだが

血管やしわの一本一本

肌のキメから毛穴まで

細部にわたって再現された“顔”の像は

うなるほど素晴らしい。

そんな彼が

『ローマの休日』で世界中をとりこにした時の若き顔と

ユニセフ親善大使となり

飢餓の子どもたちを救うことに尽力した晩年の老いた顔の

ハリウッド女優

オードリー・ヘプバーンを制作していた。

その作品を発表した場でのこと

訪れた人々は

若き日のオードリーよりも

老いたオードリーの顔の前で思いを馳せ

長い時間佇んでいたそうだ。

ゲストの一人であった

世界的に著名な女優が

インタビューにこたえていた。

 

「不思議ね。

若き日のオードリーは完璧なほど美しいのに

なぜか

老いたオードリーの前に立つと

動くことができなくなるのよ。」


人の顔にはその人の人生が映っている。

どのように生きてきたのか

その生きざまを十分にかもしだす。


そして

それが魅力につながる顔になりたいものである。

年をとるのは

決して悪くない。

そして

こわくない。


私もアラ環と言われる世代になった。

これからも決して抗わず

前をみて

「今の顔」と共に 

生きていくのだ。